モン=サン・ミシェルに憧れて

フランス好きの都内の会社員のブログ。フランスのこと、語学勉強のこと、アロマテラピーのことなんかを徒然なるままに書いてます。

パリでのテロについて、「私」が感じたこと

先週は仕事がとても忙しくて、夜10時頃まで残業する日も。

土曜日の朝は目覚ましを気にせずのんびりできる幸せをかみしめつつ、お昼前まで寝ていました。

目が覚めてふとfacebookをみたら、Paris Attackについて友達の大量の安否確認情報が目に飛びこんできて、血がサーと下がるのを感じました。

 

11月13日に起こったパリでの同時多発テロ

 

パリという大都市で起こった

無差別に罪のない人の命を奪った

世界中の人が哀悼の意を表した

テロと断固戦う必要があると再認識させられた

シリアの現状を改めて考えさせられた

 

世界中で沢山のまくら言葉がつき、哀悼の気持ちと論争を巻き起こしている大惨事が起きてしまいました。

 

色々と考えることもあるけれど、まず最初に感じたのは単純になんて痛ましい事件なんだというつらい気持ち。しかもその事件が、大好きな国フランスで起きてしまったということに対する悲しさ。そして、とても個人的なことだけれど、何よりもフランスにいる沢山の友人達が無事でほっとした、という気持ちでした。

 

今回の悲惨なテロについて、様々なニュース、論評が飛び交っているけれど、正直なところパリにいる友達が無事でよかった。どうかこれからも無事でいてほしい。そんな気持ちが一番強いです。

 

テロという問題を解決するためには、第三者は事態を冷静にとらえ同じような惨事を繰り返さないためにはなにができるのかを考えるべきだ。ということは頭では理解していても、自分にある意味近いところで起きた事件のため、どうしても感情面でもやもやとした気持ちが先にきてしまいます。

 

テロやその他の残虐な事件、戦争や内戦が起きても、どこか遠くでおきていることで、それこそ第三者的に眺めてる自分がどこかにいます。

ただ、今回の事件については「もしかしたら大事な人たちが被害にあっていたかもしれない」という恐怖心でとても他人事とは思えませんでした。

 

フランスのテロばかりフォーカスされて、シリアでは毎日たくさんの人が殺されているのにそのことは全く取り上げられない。

 

そんな批判も出てきています。

今までだったら

たしかにそれはそうかもしれない。

と思ってそれだけだったかもしれません。

 

ただ、今回

 

もし、私が留学していたのがパリではなくシリアだったらどんな気持ちなのだろう

 

とふと考えました。

シリアで爆撃があったというニュースを聞くたびに、土曜日の朝に感じたような血の気の下がる気持ちを感じて、どうかどうか友達が今日という日を無事に過ごせますように。と恐怖を感じながら毎日をすごしていたのではないかと思います。毎朝、毎晩、niftyのニュースでNHKのニュースで、現地のラジオで大規模な爆撃がなかったかをチェックしてfacebook上で友達の安否を確認して。

正直、ぞっとしました。

 

そこでまた現実に戻ると、想像の中にいるシリアの友人を危険にさらしているのはフランスを始めた他の国々の軍隊だ、ということを思い出してどうしようもなくいたたまれない気持ちになりました。

 

そんな悲しい気持ちと、恐怖と、出口の見つからないようないたたまれない気持ちが今心の中でもやもやと渦巻いていて。たまらなくなってこの記事を書きました。

 

全く考えはまとまっていないけれど。

 

大切な人たちに平穏な暮らしが戻ってくることを心から願います。

そして今回亡くなった人たちに哀悼の意を表して。